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古典ガール-高校古典の品詞分解と現代語訳-

高校古典の品詞分解と現代語訳の最強決定版です。これで定期試験やノート作り対策もばっちり。LINEで友達に広げて、カフェでワイワイ勉強会。

玉勝間 師の説になづまざること 現代語訳

玉勝間    師の説になづまざること  私が古典を解釈するときに、先生の説と違っていることが多く、先生の説がよくないところもあるのを、はっきりと違いを見分けて言うことも多いのを、全くあってはならないことと思う人が多いようだが、これはとりもなおさず私の先生〔賀茂真淵〕の心であって、常にお教えになったことには、「のちによい考えが出てきたらそのときには、先生の説と違うからといって、(誤りを直すことを)必ずしも遠慮するな。」と、お教えになった。これはたいそうすぐれた教えであって、私の先生が、非常にすぐれていらっしゃることの一つである。  そもそも、古代について考察することは、決して一人二人の力でもって、ことごとく明らかにし尽くすことはできない。また、たとえすぐれた人の説であっても、多くの説の中には、誤りもどうしてないことがあろうか、いや、あるにちがいない。必ずよくない説が混じらないではあり得ない。その(説を立てた)人自身の心には、「今は古代の精神はすべて明らかだ。これ以外には、真実はあるはずもない。」と、心を決めていることも、思いのほかに、また別の人の違ったよい説も出てくるものである。多くの研究者の手を経るにつれて、以前の考察の成果を、いっそうよく考え究めるため、次々に詳しくなっていくことであるから、先生の説だからといって、必ずしもこだわり守らなければならないものではない。よい悪いを言わず、一途に古い説を守るのは、学問の道では話にならない行為である。  また、自分の先生などのよくないことを言い表すのは、たいそう恐れ多くはあるが、それも言わないでいると、世間の学者がその説に迷って、いつまでも正しい説を知るときがない。先生の説であるからといって、よくないことを知っているのに、言わずに包み隠して、よいように格好をつけているようなのは、ただ先生だけを尊重して、学問の道のことを考えないのである。 (巻二) 日々の生活にhappyをプラスする|ハピタス